ルーヴル美術館巡り【必見作品②】

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目次

ルーヴル美術館

ルーヴル美術館には、北方ルネッサンス絵画の傑作も展示されています。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「ブラック家の祭壇画」

1452年ごろの作品です。初期フランドル派の画家です。

この作品の中央パネルに描かれているのは、キリスト、聖母マリア、福音書記者ヨハネです。

左パネルには描かれているのは洗礼者ヨハネ。

右パネルに描かれているのはマグダラのマリア。

ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」

1435年ごろの作品です。ブルゴーニュ公国宰相ロラン の依頼で描かれました。画面左側がロラン自身、右側に聖母子が描かれています。

宰相ロランと聖母子は別次元にいるように描かれています。ロランの側の背景には、民家がひしめいて世俗の世界を描いていると言われます。

背景のバルコニーの人物たちは、ファン・エイク兄弟では?という説もあります。

聖母子側の背景は教会の塔があり、聖なる世界を表していると言われます。

アルブレヒト・デューラー「あざみを持った自画像」

1493年の作品です。デューラーはニュルンベルクの天才画家。

これはデューラー22歳の時の(おそらく理想化された)自画像です。

クエンティン・マサイス「金貸しとその妻」

1514年の作品です。

マサイスは、15世紀末から商都アントウェルペンを拠点に活躍した画家です。

アンソニー・ヴァン・ダイク「英国王チャールズ一世」

1635年頃の作品です。

ヴァン・ダイクはバロック期のフランドル出身の画家で、後にイングランドの宮廷画家として名を上げます。

チャールズ1世はこの14年後に議会と対立し、「ピューリタン革命」で処刑されることになります。

レンブラント・ファン・レイン「ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」

1654年の作品です。オランダの国民的画家レンブラントの代表作です。

レンブラントの円熟期に描かれ、最高傑作の一つとされます。バテシバのモデルは、レンブラントの内縁の妻・ヘンドリッキエと言われています。

ヨハネス・フェルメール「天文学者」

1668年頃の作品です。日本でも大人気のフェルメール作品はルーヴルに2点あります。

学者の肖像は17世紀のオランダ絵画で好まれたモチーフです。

この部屋がまるまる「ギャラリー・メディシス」です。

この部屋を占めている絵画・全24枚は、フランス王妃マリー・ド・メディシスの生涯をテーマに描かれた連作です。描いたのは全てバロック期のフランドルの大家ピーテル・パウル・ルーベンスです。

ピーテル・パウル・ルーベンス「マルセイユ上陸」

イタリアからやってきた王妃マリーは、神や天使に祝福され、威風堂々とマルセイユに上陸します。

リシュリュー翼の2階は、フランス絵画中心になります。ルイ14世によって収集されたコレクションが多いですね。

アングラン・カルトン「アヴィ二ヨンのピエタ」

1445年ごろの作品です。

中央に聖母とその膝に磔刑から降ろされたキリスト。聖母の右はマグダラのマリア。左手には聖ヨハネ。一番左端は、(この空間には現実にはいない)寄進者です。

ジャン・クルーエ「フランス王フランソワ1世の肖像」

1530年ごろの作品です。

フランス史上最も人気の高い王の一人で、フランス最初のルネサンス君主とも言われています。フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチら多くの芸術家を保護しました。

ジャン・クーザン「エヴァ・マリア・パンドラ」

1550年ごろの作品です。

旧約聖書で原罪を犯したエヴァは、ギリシア神話で壺を開けてしまったパンドラと同一視されることがあるそうです。

作者不詳(フォンテーヌブロー派)「狩りの女神ディアーヌ」

16世紀中頃の作品と推定されます。

月と狩りの女神ディアーヌ(アルテミス)を描いていますが、モデルはアンリ2世(フランソワ1世の息子)の寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエとされます。アンリ2世よりも20歳も年上ながら、絶世の美女で、王の心を捉えて離しませんでした。

作者不詳(フォンテーヌブロー派)「ガブリエル・デステレとその姉妹とみなされる肖像」

16世紀末に描かれた作者不詳の作品です。

右側はブルボン王朝の始祖・アンリ4世の妾の一人ガブリエル・デステレとされます。左側はその姉妹ビヤール公爵夫人。なぜか左が右の乳首をつまんでいるのは、「授乳」を示唆する寓意画のようですね。ガブリエルが国王の子を身ごもり、正式の結婚を望んでいることを示していると言われます。

ニコラ・プッサン「エコーとナルキッソス」

次にフランス17世紀古典主義絵画を見ていきたいと思います。1628年〜1630年ごろの作品です。

ニコラ・プッサンはフランス古典主義の代表的画家です。水面に映った自分の姿に恋したナルキッソスは、その場を離れることが出来なくなりました。ついに衰弱死してしまいます。(ナルシズムの語源となる)

ニコラ・プッサン「アルカディアの牧人たち」

1639年ごろの作品です。

プッサンの代表作とされる作品です。中央にある石墓にラテン語で「私はアルカディアにもある」と刻まれています。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」

リシュリュー翼から、そのままシュリー翼へと移動します。いきなり夜の画家ラ・トゥールの名作があります。1635年の作品です。

この絵画には4人の人物が描かれていますが、いいところの坊ちゃんが、サマ師3人の餌食になるところを描いた作品です。(ラ・トゥールが影響を受けたカラヴァッジョにも同様の作品がある)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス」

1649年頃の作品です。

作者のラ・トゥールは、存命中の17世紀は絶大な人気を誇り、ルイ13世の宮廷画家を務めるほどの名声を誇りました。が、死後は約200年もの間、忘れ去られ、20世紀になって再発見・再評価が始まり脚光を浴びるようになりました。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工聖ヨセフ」

1640年ごろの作品です。

ラ・トゥールの作風は、明暗の対比を強調するカラヴァッジョの影響を受け、「夜の画家」と呼ばれています。この作品も幼いキリストと養父ヨセフを照らす静かな灯火が心に沁みます。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「悔い改めるマグダラのマリア」

1642〜1644年頃の作品です。

ラ・トゥールの得意とする主題。キリスト磔刑に際して、瞑想にふける黒髪のマリアの手には、死を意味する髑髏が光ります。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「ヴィジェ=ルブラン夫人と娘ジュリー」

1786年の作品です。これはヴィジェ・ルブランとその娘の自画像です。この女流画家はフランス王妃マリー・アントワネットのお気に入りでもありました。

ジャン・シメオン・シャルダン「赤エイ」

1725年〜1726年の作品です。

カミーユ・コロー「モルトフォンテーヌの思い出」

1864年の作品です。

コローはかつて繰り返し訪れた場所であるモルトフォンテーヌの沼を、アトリエで思い起こし、再構成して描いたといいます。

カミーユ・コロー「真珠の女」

1868年〜1870年ごろの作品です。

この作品は、ポーズで分かるように「モナ・リザ」やラファエロを意識して描いた作品と言われます。

ドミニク・アングル「トルコ風呂」

1862年の作品です。

82歳のアングルが完成させた、ハレムの裸婦たちを描いた作品です。完成まで40年近くかかっているそうです。アングルの総決算的な女性美が描かれていて、まさに執念ですね。

ドミニク・アングル「ヴァルパンソンの浴女」

1808年に描いた初期の傑作です。

皺一つないスベスべお肌と、長い背中がアングルの美的ツボですね。

古代オリエント美術を見ていきます。絵画や彫刻だけでなく、何でも見れるのがルーヴルのいいところです。

バビロンの王のハンムラビ法典

紀元前18世紀に、バビロンの王ハンムラビによって建てられたメソポタミア文明の象徴です。

聖書の律法以前に作られた、最も完全な古代の歴史的著作と法令集が玄武岩に刻まれています。「目には目を」の条文で有名ですね。

ヌ・バンダ、エビフ・イルの彫像

紀元前2340年頃のものと見られます。シリアのマリ遺跡の神殿から発掘されました。

有翼人面牡牛像ラマッス

紀元前8世紀のものです。

新アッシリア(イラク北部)のサルゴン2世の都コルサバードから出土しました。

ダレイオス1世宮殿の謁見の間(アパダーナ)の円柱の柱頭

紀元前510年頃のものです。

アケメネス朝ペルシア帝国(イラン)のダレイオス1世の時代のものです。

射手のフリーズ

紀元前510年頃のものです。

《不滅の軍隊》と歴史家ヘロドトスに名づけられたダレイオス1世の近衛兵と言われます。

古代エジプト美術を見ていきます。

書記座像

第4あるいは第5王朝?(前2600-前2350年)のものです。なんと4500年前の作品!

この人物の名前、称号、生きていた正確な時代については何も分っていない。それにもかかわらず、この像は見学に訪れる人々に、深い感動を与える。

男性のミイラ

プトレマイオス朝時代、紀元前332〜紀元前30年のものです。

この時代の風習に従って、遺体は亜麻の包帯で丁寧に巻かれており、なかでも顔面は芸術的なまでに見事に仕上げられています。

タニスの大スフィンクス

紀元前2600年頃のものです。この彫刻は、エジプト国外で保存されているスフィンクス像のうち、最も大きいものの一つです。

女性の肖像画、通称《ヨーロッパの女性》

紀元後120〜130年のものです。

エジプト、アンティノポリス(アンティノエ)の出土です。

この辺はローマ帝国時代のエジプト芸術のようですね。

すごく写実的ですね!

中世のルーヴル

革命後の1793年に美術館としてスタートしたルーヴル宮ですが、最初の姿は要塞でした。

1190年、外敵の侵入を防御するためにこの要塞を築いたのは、フランス国王フィリップ2世 (尊厳王)でした。

要塞の姿はシュリー翼地下で見ることができます。

1980年代のルーヴル改造の際に発掘され、そのまま地下通路として活用されています。

ナポレオン三世のアパルトマン

リシュリュー翼にあります。

ナポレオン三世は、ナポレオン・ボナパルトの弟の子供です。

つまり甥っ子ですね。ルイ・ナポレオンという名前です。

政治力は凄まじく、王政廃止の後、まずは大統領に。

その後、クーデターを起こし、1852年に皇帝に即位。第二帝政を開きました。

オスマン知事に命じた「パリ改造」もナポレオン三世の時代の業績です。

しかしビスマルク率いるプロイセンに敗れ、プロイセン軍の捕虜になるという生き恥を晒し、失脚してしまいました。

ナポレオン三世の大サロン

リシュリュー翼にあります。

1856年から61年にかけて、ルーヴル宮とチュイルリー宮をつなぐために造られました。

ミッテラン大統領によるルーヴル改造までは、大蔵省として使用されていたとか。

玉座かな?

アンリ二世の階段

シュリー翼にあります。

アンリ2世 Henri II とディアーヌ・ド・ポワチエのモノグラム HD が刻まれていますね。

この階段の浮き彫りは、フランス・ルネサンス彫刻の大家ジャン・グージョンによるものです。

ルイ14世の執務室

シュリー翼にあります。王侯貴族の生活空間が再現されています。

イアサント・リゴー「ルイ14世の肖像」

1701年の作品です。

ルイ14世は太陽王と呼ばれ、フランス史上もっとも重要な君主と言われます。

マリー・アントワネットの部屋

シュリー翼にあります。マリー・アントワネットはフランス革命に散った悲劇の王妃。

愛が苦しみなら 幾らでも苦しもう

ミュージアムショップです。何箇所かありましたが、下の写真はドゥノン翼モナリザそばの売店です。

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