奈良市 薬師寺、唐招提寺、法隆寺巡り

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JR奈良駅からバスで薬師寺に向かいました。

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薬師寺

680年、天武天皇の発願により建てられました。当時病気であった妻の持統天皇の快癒を祈ってのことでした。

皮肉なことに天武天皇も病魔に倒れ、薬師寺の完成を待たずに崩御されました。

薬師寺・大講堂

2003年の再建です。伽藍最大の建築物です。

現在の薬師寺・白鳳伽藍の多くは、昭和以降に復興したものです。

本尊の銅造三尊像や仏足石など見られます。

薬師寺・金堂

1976年の再建です。白鳳伽藍復興に加わっていた伝説的宮大工・西岡常一は、木造での再建を主張していましたが、内陣だけは鉄筋となったようです。

国宝の本尊薬師如来像を外からズームで撮影。奈良時代の仏像の最高傑作と言われます。

国宝の月光菩薩像。

国宝の日光菩薩像。

佐々木信綱の歌碑「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

薬師寺・東院堂

国宝。鎌倉時代の再建です。

本尊・聖観音立像です。

2017年に再建した食堂です。

中には「阿弥陀三尊浄土図」が祀られます。天井や装飾なども素晴らしい浄土世界でした。

この食堂の完成により、薬師寺復興プロジェクトはひとまず完成したと言われます。

薬師寺・西塔

1981年に伝統様式・技法で再建されたものです。

東塔とは対照的な位置にあります。が、東塔と比べて、30㎝高く造られています。

設計した西岡常一によると、これは木材の乾燥収縮を計算したもので、500年後には東塔と同じ高さで落ち着くそうです。それにしてもさすが超一流の宮大工の時間感覚は凄いね。

薬師寺・東塔

国宝。現在寺に残る建築のうち、730年(奈良時代)にさかのぼる唯一のものです。六重の塔に見えますが、実は三重。各層に裳階と言われる小さな屋根があるのです。美しい姿は「凍れる音楽」と称されます。

ここしばらくずっと修理中でしたが、ようやく外観を拝めるようになりました。

令和4年1月まで初層が特別開扉されており、完全復活した東塔が一般公開されています。

また過去1300年もの間、東塔先端部を飾り続けてきた青銅の「水煙」は役目を終え、取り外され、これも現在、一般公開中です。

いったん外を出て玄奘三蔵伽藍へと移ります。

玄奘三蔵塔です。

玄奘三蔵院では平山郁夫の「大唐西域壁画」を鑑賞できました。

次は歩いて、唐招提寺に移動します。

唐招提寺

1960年に天平様式で再建された南大門から入っていきます。

唐招提寺・金堂

国宝。8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。開祖は有名な鑑真。

堂内にはずらり国宝仏像が並びます。

国宝・盧舎那仏坐像。奈良時代。

国宝・薬師如来立像。平安時代。

唐招提寺・宝蔵、経蔵

二つの国宝。手前が宝蔵。奥が経蔵です。

校倉造が美しい。

唐招提寺・鼓楼

こちらも国宝。

唐招提寺・講堂

こちらも国宝。平城宮の東朝集殿を移築・改造したものです。

天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在。

重文・弥勒如来坐像。鎌倉時代。

唐招提寺の開祖・鑑真の御廟を目指します。

唐招提寺・開山御廟

鑑真の御廟です。

鑑真は唐の高僧でしたが、奈良時代の日本に戒律を伝えるため、来日を決意。

5回失敗して失明しながらも6度目で成功。沖縄から屋久島を経て、薩摩は坊津に上陸。753年のことでした。

来日以降は孝謙天皇、聖武上皇の歓待を受けます。ちなみに東大寺大仏殿の開眼法要は752年で、鑑真はまだ来日前で参加してません。

来日後は東大寺に住しましたが、759年に唐招提寺を開きました。

ここが鑑真の墓所です。

↓これは唐招提寺に安置される国宝「鑑真和上像」です。鑑真生前に制作されており、鑑真の間違いない容姿を伝えてくれる。

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本物は収蔵庫にありますが、レプリカ像は見ることができます。

午後は斑鳩に向かい、法隆寺をまわっていきます。

法隆寺

法隆寺は単体で世界遺産に登録されています。国宝・南大門から入場します。

1993年に、姫路城とともに日本初の世界文化遺産に登録されました。

法隆寺・中門

国宝です。この向こうから有料エリアが広がります。

この仁王像も8世紀初頭の日本最古のものらしいですね。

法隆寺・五重塔

国宝です。日本最古の塔です。

この西院伽藍全体が7世紀後半の再建ですが、それでも世界最古の現存木造建築なのです。

心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められています。

法隆寺・金堂

国宝・金堂は西院伽藍最古の建築です。

1949年の解体修理中に失火し、初層の壁画が焼失しました。

しかしこの壁画は失火前の1935年に、文部省の修理事業の一環として写真撮影されており、それを元にした写真ガラス原板のデジタルビューワが公開されています。

屋根を支える龍を刻んだ柱は、江戸時代に造られたものだとか。

穏やかなほほ笑み(アルカイック・スマイル)をたたえた国宝・釈迦三尊像鞍作止利作です。止利仏師は渡来人の一族ですね。

厩戸皇子もトリの才能を見抜いてました。

「達等どの。あの子の好きな道に行かせるがよい。トリは必ずや後世に名を残します」

(山岸涼子「日出処の天子」より)

漫画の話だけど。

法隆寺・大講堂

平安時代の990年に再建された国宝です。

大講堂の内陣にある薬師三尊像です。

法隆寺・聖霊院

法隆寺といえば聖徳太子。時代を経て神格化され、信仰の対象となっていきました。

聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。

聖徳太子像は時期限定の公開のようで、見れませんでした。

法隆寺・大宝蔵院

法隆寺に伝来する数々の名宝が安置されています。

夢違観音。白鳳文化の頃のもの。この像を拝めば、悪い夢もよい夢に変えてくださるといいます。

玉虫厨子。飛鳥時代(7世紀)の作。今は無くなっていますが、玉虫の羽を装飾に使っていました。元は金堂に安置されていたそうです。

極め付けは百済観音像です。2m以上のお姿。名前は百済ですが、国内産のクスノキとヒノキで作られており、国産とされています。

百済観音という呼称も、ここ100年くらいで広まった通称らしいですね。

東院伽藍に移動します。

東院伽藍は、聖徳太子一族の住まいであった斑鳩宮跡に建立されています。

法隆寺・夢殿

奈良時代の創建ですが、鎌倉時代に大改造をしています。漫画「日出処の天子」ファンにはお馴染み。厩戸が引きこもる御堂です。

秘仏・救世観音像は春と秋に開扉されます。

救世観音像を初めて見ることができました。

この像はかつて白布が巻かれ、寺僧もその姿を見たことがなかったが、1884年、古社寺調査のため訪れたアーネスト・フェノロサが数世紀ぶりに厨子を開扉し、白布を解き、像の姿を明らかにしたとされています。秘仏中の秘仏であったためか保存状態は良く、金箔も多く残っています。

中宮寺も参拝しようとしたのですが・・

弥勒菩薩像は見れないようでした。以前来たことがあるから、今回はいいか。

参道を逆行して帰ります。

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