サンクトペテルブルク巡り【血の上の教会、聖イサク教会、ネフスキー通り】

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サンクトペテルブルク市街地

サンクトペテルブルクをバスで市街地ぐるり。

カザン聖堂

正教会の大聖堂です。

旧海軍省からネフスキー通りの辺り。ドストエフスキー「罪と罰」の舞台の辺りの観光スポットを巡っていきます。

血の上の救世主教会

塔の「ねぎ坊主」がロシアっぽい感じです。修復中のようですね。比較的新しく1907年に造られたそうです。日露戦争の後ですね。

不気味な名前ですが、由来は皇帝暗殺事件によります。

1881年皇帝アレクサンドル二世が、この場所で爆弾を投げ込まれる事件がありました。 虫の息になったアレクサンドル二世は、「宮殿に運んでくれ。宮殿で死にたい」と言って、宮殿で死んだので、ここで死んだわけではないんですが。

息子のアレクサンドル三世が父の死を悼み、この地に教会をつくったのです。アレクサンドル二世は開明的で、ロシアの後進性を自覚して「農奴解放令」を出しました。しかし改革には、常に既得権益貴族の妨害が入るもの。アレクサンドル二世の解放令は不充分なものになってしまい、かえって民衆の恨みをかってしまいました。

アレクサンドル二世

高さは85メートル。コンクリート製だそうです。

次にネヴァ川左岸にやってきました。対岸の古い御屋敷が味がありますね。

サンクトペテルブルグの天気は不安定です。バルト海の影響を受け、雨の町として知られます。

ネヴァ川や運河でクルージングも楽しめます。

信号は待ち秒数が表示されます。

元老院広場

ソ連時代はデカブリスト広場と呼ばれました。背後には「聖イサク教会」が見えます。

青銅の騎士像

この広場の観光名所は、なんと言っても「青銅の騎士像」です!

この騎士はピョートル大帝です。帝都サンクトペテルブルグを創り上げた、ロシア史上最大のカリスマですね。

詩人プーシキンが、ピョートル大帝の偉業を讃え、つくった詩の名前が「青銅の騎士」だったそうです。そこから像の名前がつけられたとか。

この像は、エカテリーナ二世が造らせました。「ピョートル1世へ、エカテリーナ2世より、1782年」と刻まれています。

大帝の馬が踏んでいる蛇は、当時の敵国スウェーデンを表しているといいます。

元老院広場の西側には「元老院議事堂」があり、ロシア憲法裁判所が入居しています。

聖イサク教会

次にピョートル大帝像の背後の「聖イサク教会」にやってきました。

1858年に造られたそうです。完成まで40年もかかったとか。

でかい。高さ101メートルで1万4千人も入るんだって。

柱の太さに圧倒されます。

内部はモザイク壁画や、大理石などの装飾で美しいです!

天井ドームを見上げます。

中央祭壇です。

中央祭壇左側。右から聖母子像と聖人像。

ステンドグラス「キリストの復活」です。

こちらが出口です。

出口のところのキューピットちゃんを撫で撫ですると、ご利益があるようです。

扉もでかい。

お昼ご飯はロシアの惣菜パン「ピロシキ」です。

スープ料理「ボルシチ」です。

煮込みスープで、パンをつけたりしても美味しい。

食後はサンクトペテルブルク中心地を散策していきます。

ミハイロフスキー(芸術)広場

この銅像はロシアの偉大な詩人であり、作家でもあるプーシキンです。「大尉の娘」とか面白くて、そこからしばらくロシア文学に興味を持ちました。

芸術広場の北には「ロシア美術館」があります。

ロシア美術館から南下していきます。右側はグランド・ホテル・ヨーロッパです。

ネフスキー通り

さてサンクトペテルブルクのメインストリート「ネフスキー通り」を東へと散策していきます。

聖カトリーヌのアルメニア使徒教会

地下道に入っていきます。

土産物屋さんもありました。

エカテリーナ二世の広場

その裏手にはアレキサンドリスキー劇場があります。

↓これがスターバックスです!

アニチコフ橋

フォンタンカ川にはアニチコフ橋がかかり、「馬使い」の像が並びます。

1850年代のアニチコフ橋。

台座が削れてるのは、第二次大戦中のドイツ軍の攻撃によるものです。

ベロセリスキー・ベロゼルスキー宮殿が見えます。1850年代と変わってないですね。

この付近を舞台に描かれた傑作が、イワン・クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」です。

アニチコフ橋に馬車を止めた「アンナ・カレーニナ」をモデルとしたとされる女性です。

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