フィレンツェ巡りしていきます。ピッティ宮殿へと向かいます。
共和国広場
途中で共和国広場が見えてきました。
共和国広場の凱旋門は1865年につくられたそうです。
イタリアの国家統一は遅く、ほぼ日本の明治維新やドイツ帝国成立と同時期です。
統一イタリアの首都として、一時はフィレンツェが選ばれていました。(1865〜1871)
真ん中のメリーゴーランドがいい雰囲気ですね。
路上に絵を描くパフォーマーがいました。チョーク・アートっていうのかな。ダヴィデとかボッティチェリとかのすごくうまい絵を描いて、翌朝になると清掃で消されているとか。
新市場(メルカート・ヌォーボ)
ここではフィレンツェ名産の革製品を、気軽に買うことができます。
新市場の横手に「イノシシの像(幸せの仔豚)」があります。
この豚の鼻をナデナデすると、幸せになれるとか。ありがちなパターン。鼻はすり減ってますね。
ヴェッキオ橋
これはヴァザーリの回廊です。ピッティ宮殿とウフィツィ美術館をつなぐ約1Kmの秘密の通路です。
ヴァザーリの回廊は、1565年にコジモ一世が建築家ヴァザーリにつくらせた通路です。メディチ家にとっては、ウフィツィが仕事場で(そもそもウフィツィとは「オフィス」の意味)、そこから住居であるピッティ宮殿への専用通路としてつくらせたんだそうです。ヴェッキオ橋の上も回廊が続いています。
ヴェッキオ橋は1345年につくられたものだそうです。700年も前なんだ。そもそも「古い橋」という意味だそうですよ。
第二次大戦中のドイツ軍との戦いの時に、アルノ川の橋は全て落としてしまったのですが、ヴェッキオ橋だけは歴史的価値を惜しんで落とさなかったそうです。
ヴェッキオ橋はかつては肉や魚の市場がひしめいていたんですが、悪臭が凄かったらしく、トスカーナ大公の命によって、宝石や貴金属の工房を入れることにしたそうです。
高級そうなお店が並びます。
ヴェッキオ橋の真ん中のあたりに休憩スペースがあります。
この胸像はベンヴェヌート・チェッリーニのものです。ルネッサンスを代表する金細工師・彫刻家です。
アルノ川をのぞみます。
ヴァザーリの回廊がウフィツィ美術館まで伸びていますね。
ヴェッキオ橋を渡った向こう岸に、フィレンツェ最古の教会の一つのサンタ・フェリチタ教会がありますが、そこにも回廊は続いてるんですね!メディチ家専用のミサが行われていたとか。
ここにはポントルモの十字架降下の祭壇画がありますね。寄る時間はないけど。
ピッティ宮殿
さあ、ピッティ宮殿に到着しました。
もともとは15世紀に銀行家ルカ=ピッティによって建設が始められた宮殿でした。しかし完成を待つことなく、ピッティ家は没落し、宮殿も建築中断のまま放置プレイされていました。
が、100年後にメディチ家の初代トスカーナ大公・コジモ一世が買い取ることになりました。
その後、宮殿の主(トスカーナ大公)はメディチ家からハプスブルグ=ロートリンゲン家に代わりましたが、美術品収集や増改築は約400年にわたって続けられました。
パラティーナ美術館
現在、ピッティ宮殿内にはいくつもの美術館が作られて一般公開されています。特にラファエロのコレクションで名高いのが「パラティーナ美術館」です。
ピッティ宮殿の2階が「パラティーナ美術館」。別名「ピッティ美術館」ともいいます。
ここは「控えの間」らしい。演奏会などで使用されてるみたいです。
天井装飾など見事なものです。
いよいよ入館していきます。
窓の外にはボーボリ庭園が見えます。これも後で訪れることになります。
回廊には両側に見事な彫刻がズラリ。
「カスタニョーリの間」です。
ミューズのテーブルというそうです。
よく見ると土台部分にも彫刻があるんですね。
テーブルにはアポロンが描かれています。
天井にもアポロンが!対応しているんですね。
ここは「音楽の間」だそうです。
ここで音楽を楽しんだそうです。
「アレゴリーの間」です。
エミリオ・ゾッキ「若きミケランジェロ」
1862年の作品です。この苦痛の表情は何を意味してるんでしょうね。
天井画はイル・ヴォルテッラーノの手によります。
「ストーブの間」です。
かつてトスカーナ大公の浴室として使用されたようです。
「イリアスの間」です。
古代ギリシャ叙事詩「イリアス」の天井画が描かれています。
「ジュピターの間」です。
ヴィンチェンツォ・コンサーニ「ラ・ヴィットリア」
19世紀の作品です。
「ジュピターの間」の天井画です。
「ヴィーナスの間」です。
アントニオ・カノーヴァ「ヴィーナス」
1804〜1811年にかけて制作されました。ちょうどナポレオン戦争の時代ですね。
カノーヴァは18世紀から19世紀にかけて活躍した大彫刻家です。
イタリアだけでなく世界中にカノーヴァの作品が置かれています。
「緑の間」です。
これ以降は絵画を見ていきます。
アルテミジア・ジェンティレスキ「聖母子」
1610〜11年頃の作品です。アルテミジア・ジェンティレスキは女流画家のはしりです。
フィリッポ・リッピ「聖母子」
1450年頃の作品です。円形の絵を「トンド」といいます。
サンドロ・ボッティチェリ「若い女性の肖像(美しきシモネッタ)」
1485年の作品です。モデルのシモネッタ・ヴェスプッチはフィレンツェ一の美女。シモネッタは美人薄命そのままに22歳で早逝します。
ラファエロ・サンティ「布張り窓の聖母子」
1514年頃の作品です。パラティーナ美術館といえば、ラファエロの良質なコレクションが見もの。
グイド・レーニ「慈愛」
1605年の作品です。レーニはバロックの時代にボローニャで活躍した画家です。
カラヴァッジョ「眠るキューピッド」
1608年の作品です。カラヴァッジョは画家としては不世出の天才ですが、人格的には粗暴な人物で、殺人まで起こしています。
クリストファノ・アローリ「ホロフェルネスの首を持つユディット」
1620年の作品です。旧約聖書におけるユディットやサロメなど首切り美女は、ちょっと怖いけど魅力的なテーマ。多くの画家が好んで取り上げるテーマです。
ラファエロ・サンティ「身重の女の肖像」
1507年頃の作品です。フィレンツェ滞在の終わり頃に作成された、ラファエロ肖像画の傑作です。
アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとその侍女」
1613〜1618年頃の作品です。アルテミジアが生きた17世紀は「女流画家」が認められる環境ではなかった上に、彼女自身もレイプ被害にあったりしました。
アンドレア・デル・サルト「聖母子」
1528〜1530年頃の作品です。ルネサンス盛期のフィレンツェの大家で、伝統的画風の美しい作品を多く残しています。
チーロ・フェッリによる「サトゥルヌスの間」の天井画です。
ラファエロ・サンティ「小椅子の聖母」
1513〜14年頃の作品です。ラファエロの中でも最も有名な作品なのではないでしょうか。
ラファエロ・サンティ「大公の聖母」
1506年頃の作品です。後にロレーヌ家のトスカーナ大公フェルディナント三世によって購入されました。
ラファエロ・サンティ「自画像」
1506年の作品です。これは若い頃の作品ですね。と言ってもラファエロは37歳で早逝してるんだけど。イケメンかつ優しい性格で、誰からも愛されたそうです。
ラファエロ・サンティ「トンマーゾ・インギラーミの肖像」
1510年頃の作品です。貴族の肖像画らしいですね。なるほど。この人は斜視っぽいんですが、それをうまく隠すために角度を付けてるんですね。
カラヴァッジョ「アントニオ・マルテッリの肖像」
カラヴァッジョが殺人を犯した後の、1608〜1609年の逃亡時代の作品です。モデルはマルタ騎士団員の人です。
ラファエロ・サンティ「ヴェールの女」
1516年頃の作品です。ラファエロの肖像画としては最高傑作と言えるのではないでしょうか。「モナリザ」から学びつつ、自分の味も出してる感じ。
ピーテル・パウル・ルーベンス「戦争の結果」
1638年の作品です。ルーベンスの活躍した時代は17世紀初頭で、ヨーロッパ史上最も凄惨な宗教戦争(30年戦争)が行われていた時代です。その寓意画ですね。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「聖母子」
1650〜1655年頃の作品です。バロック時代のスペインの大家。甘美な聖母子像の名手として知られます。
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ「マグダラのマリア」
1535年ごろの作品です。元娼婦で、キリストの女信徒であったマグダラのマリアは、キリストの死の後に洞窟の中で苦しい修行と瞑想を行ったという話があるが、それをテーマとしているんですね。
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ「若者の肖像」
1535年頃の作品です。別名「灰色の目の男」と呼ばれる、ティツィアーノの肖像画の傑作です。
グイド・レーニ「クレオパトラの自殺」
1640年頃の作品です。毒蛇に身を噛ませ自死した美女のテーマを、レーニは好んで描いています。
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ「美しい人」
1536年ごろの作品です。フィレンツェ で現在行われている復活祭では、女性たちはルネッサンスの頃のドレスを着て仮装するのですが、この絵を参考にして当時のドレスを再現しているそうです。
ここがミュージアム・ショップです。
ボーボリ庭園
ピッティの裏手にある「ボーボリ庭園」をちらっと散策したいと思います。
バックドロップ笑
彫刻も大変素晴らしい。
いよいよ入場していきます。
ボーボリ庭園は広大な丘陵地(東京ドームとほぼ同じ面積)に広がる庭園です。ちょっとだけ散策して帰ります。
まずは円形劇場があります。
左右には6段の階段と彫刻群が対称をなします。
ここはもともとピッティ宮殿の採石場だったらしい。その跡地に劇場が1630〜1634年の間につくられたそうです。
中央にはエジプトのオベリスクが建っています。
もともとこの庭園はトスカーナ大公のコジモ一世妃・エレオノーナ・ディ・トレドの命により、1550年から造営が始まりました。
時々振り返ってみます。左右対称の人工美が、西洋人ならではの美的感覚ですよね。
さらに上へ。
ネプチューンの噴水です。
ここは庭園の灌漑用の池らしいです。
彫像や噴水、洞窟などイタリア庭園の範となった庭園です。世界遺産にも登録されています。
さあ、さらに上へ。
「豊穣の像」です。
右手に果実、左手に麦の穂を持ち、トスカーナ大公国の繁栄を祈願します。
振り返ってみるとフィレンツェ の美しい街並み!
もうちょっと上へ行くと陶磁器博物館があります。
博物館はちょっと覗いたけど写真は撮らなかったです。
高台だけに眺めはとてもいい。
深入りせずに降りて帰ろうと思います。庭園全体を散策すると、多分2時間くらいかかるみたいです。
遠くドゥオーモが見えます。
バッカス像がありました。これはレプリカで、オリジナルは庭園内のカフェハウスにあります。実はコジモ一世に仕えた小人がモデルです。当時の欧州宮廷には慰み者として小人が置かれることが多かったようですね。
帰ろうと思ったらヘンテコな洞窟がありました。なかなか帰らせてくれません。これはブオンタレンティの洞窟です。
なんとここがヴァザーリの回廊の終点なんですってね!
すごいデザイン。コジモ一世の息子のフェルディナント一世が、ベルナルド・ブオンタレンティに命じて設計させたそうです。
私が行った時は柵があって奥まで入れなかったけど、日に何回か無料入場できる時間帯があるらしいです。
奥で抱き合うのは神話のテーセウスとヘレネ。
その横をミケランジェロの奴隷像のレプリカが飾ります。
Ristorante Giglio Rosso
晩御飯はレストランでステーキ食べました。
フィレンツェのステーキは「ビステッカ(Tボーンステーキ)」と言われます。骨のそばをかぶりつくとうまいこと。
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