北海道巡り【札幌時計台、クラーク、北大】

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JRタワービル

道都・札幌に到着しました。何度来てもいい札幌。いろいろと巡っていきたいと思います。JRタワービルの夜景が綺麗だというので、上ってみるか。

本当は藻岩山の夜景に行きたかったのですが、この時はなんかの工事中で行けなかったのです。

さて翌日も札幌観光していきます。

これは札幌のオアシス・中島公園です。

なぜ突然公園の画像が出てくるのか?

多分中島公園のそばのホテルに泊まったのでしょう。

北海道大学

まずは北海道の最高学府・北海道大学にやって来ました。

緑が多く、のんびり散歩には最高。

これが北大の顔・クラーク博士の胸像です。

1876年北大農学部の前身・札幌農学校の指導のため、アメリカはマサチューセッツから来日しました。わずか9ヶ月の滞在でしたが、「少年よ、大志を抱け」の名言を残しました。有名な指をさしている像は羊ヶ丘展望台にあり、北大にはありません。

これが北大の農学部。ほぼ何も見えませんが。

総合博物館です。2010年に鈴木章・北大名誉教授がノーベル化学賞を受賞しました。

北大名物・ポプラ並木です。

新渡戸稲造かな?新渡戸稲造も札幌農学校出身でした。

大野池です。

睡蓮が楽しめます。

銀杏並木です。

北大植物園

羊ケ丘展望台

ここも観光名所ですが、札幌駅中心地域からは少し離れているのでバスを利用しました。

その名の通り、羊さんがいます。

これです。有名なクラーク像。「少年よ、大志を抱け」のポーズですね。

これは北大にあると思ってました。

北海道旧庁舎「赤レンガ庁舎」

北海道庁舎付近にやってきました。札幌出身の彫刻家・本郷新の「北の母子像」がありました。

今は北海道の歴史を学べる博物館となってます。

入植当時の札幌のようす。ほぼ原野から町づくりが始まった。

戊辰戦争は函館が最後の戦場になりました。当時の砲弾。

戊辰戦争後は、明治新政府により開拓使が置かれました。これは北辰旗という開拓使の旗です。

2階も見てみます。

北の動物たちです。

不自然に目がクリクリしとるw

これは南樺太と北海道を結んだ海底電信ケーブルですね。1905年から40年、南樺太は日本統治の下にありました。

当時の樺太日日新聞。

樺太が島であることを、最も早く発見したのは間宮林蔵でした。不屈の闘志で北方を探検した人物です。

大東亜戦争末期、ソ連が日ソ中立条約を破り南下してきました。平和だった樺太も戦火に包まれることになります。

そして真岡郵便局の悲劇が起こります。お一方、お顔が反射してしまって申し訳ない。

1945年8月20日、樺太へのソ連軍侵攻に際し、樺太・真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、9人が青酸カリなどを用い自決しました。「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」有名な最期の言葉です。

これが真岡郵便電信局の模型。

ここは記念室といって、知事室ですね。

知事閣下の机です。

下の段、右から2番目が町村金五知事。町村信孝官房長官のお父上ですね。

北方領土奪還のキャンペーンも続けられています。

これは江戸時代に北方領土を探検した近藤重蔵、最上徳内らが択捉島に立てた記念碑のレプリカでしょう。

榎本武揚外務大臣の尽力で締結した「樺太千島交換条約」の複製ですね。これにより千島は全島日本領になりました。

さて大通公園にやってきました。

大通公園のシンボル「泉の像」はまたしても彫刻家・本郷新の作品です。

さっぽろテレビ塔

さっぽろテレビ塔に上ってみたいと思います。

高さ147m。大通公園が一望できますね。

遠くに大倉山ジャンプ台が見えます。

札幌ドームやで。

昼飯は札幌ラーメン食べました。

札幌市時計台

元は札幌農学校の演武場として建てられました。

今は林立するビルの中にあるけど、昔はこうだったんですね。

内村鑑三に新渡戸稲造。大物が多いですね!

「日本三大がっかり」の一つに挙げられる時計台ですが、建物自体はいいですね。

ただビル街の中にある、という立地が全てをぶち壊してしまってる感じですよね。全然そぐわないから。だから羊ヶ丘にでも移転したら、一気に世界遺産とかになれるかも?

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