今回は京都の新選組・歴史巡りをしていきます。
壬生寺
この壬生寺界隈には新選組の屯所が置かれていました。

新選組は結成当初、京の人々からは「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれていました。

本堂です。この境内で新選組は武芸の調練を行なっていました。

本堂は何度も焼失しており、現在のものは昭和の再建です。

千体仏塔。平成になってつくられました。パゴダというミャンマーの様式です。

水掛地蔵です。

ここは阿弥陀堂で、この地下に新選組資料室があります。

阿弥陀堂を通って、有料エリア「壬生塚」に突入していきます。

新選組は近藤勇を局長として、1863年に結成されました。

近藤は武州・多摩の百姓出身。幼い頃から武芸を好み、天然理心流の道場「試衛館」に入門します。

↓三橋美智也「ああ新選組」の歌碑です。ボタンを押すと歌が流れます。

さあ、ここから壬生塚です。

これが隊士慰霊塔。

彼らは京の町を血風の如く、駆け抜けていきました。

顕彰碑です。

壬生塚は全国から新選組のファンが集まる聖地でもあります。


近藤勇像!

1860年、近藤勇は天然理心流宗家・近藤周斎の養子として、天然理心流四代目宗家を襲名しました。

近藤は武骨で、豪胆な人であったと言われています。口が大きく、ゲンコツを口に入れられた逸話は有名ですね。

1862年、将軍徳川家茂の京での警護のため、庄内出身の志士・清河八郎の呼びかけによって、近藤ら試衛館一派は京に上ることになりました。もちろん土方歳三や沖田総司らも一緒でした。

芹沢鴨と平山五郎の墓です。水戸出身の芹沢たちも清河八郎の求めに応じ、京にのぼりました。

新徳寺です。壬生寺のすぐそばです。1863年、ここの境内で、清河八郎は爆弾発言をしました。「将軍警護は名目で、我々の本当の目的は尊王攘夷の志士となることである」

あくまで佐幕であった近藤一派や、水戸出身の芹沢鴨一派は、清河と袂を分かち、会津藩松平公お預かりの「壬生浪士隊」となる道を選びました。これが新選組の前身となります。

新選組屯所・八木家住宅
壬生浪士隊の屯所の一つがこの八木家住宅です。ここに近藤や芹沢らが投宿しました。

八木家のご子孫が現在は和菓子屋を営みます。

八木邸の見学受付もこちらからです。

ここは新選組ファンにとっては必修ですね。

見学は、ガイドと抹茶、屯所餅付きです。

これが屯所餅。美味しかった!

お店では新選組グッズがいっぱい買えます。


土方歳三の石田散薬ブランドの飴ですね。

この奥が八木邸。残念ながら撮影は禁止です。

この家の奥座敷で、1863年9月に芹沢鴨一派は粛清されました。

芹沢鴨一派は素行が悪く、近藤たちと溝が生まれていました。下手人は土方歳三、山南敬助、沖田総司らであったとされます。

パンフ写真から奥座敷。ガイドさんの話も詳細で楽しかった。部屋に遺った刀痕など見れましたよ。

新選組屯所・旧前川家住宅

こちら旧前川家も屯所として使われました。現在も住宅として使われているため、一般公開はしてないようです。土日祝のみ一部公開して、グッズ販売などしているみたいです。

ここで沖田総司らは子どもを集めて遊んでいたとか。また1865年にこの家の一室で、隊士・山南敬助が切腹をします。介錯は沖田総司。

1864年、この屯所に尊王攘夷派の古高俊太郎という人物が捕縛・連行されます。土方らの徹底した拷問を受けた古高俊太郎は、長州を中心とした尊王攘夷派の挙兵を自白したと言います。幕末史に名高い池田屋事件の始まりです。

池田屋

1864年の池田屋事件は、新選組が一躍名を上げた事件です。なんと現在は歴史居酒屋なんですね!

ここが紛れもない、あの池田屋なんです。

店員さんもダンダラ羽織。

尊王攘夷派のアジトを絞り込めなかった新選組は、近藤と土方の2グループに分け、捜索しました。池田屋には近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助が踏み込みました。

お江戸ル!ホーリーさんだ!

相手は長州、土佐、肥後出身の20余名の志士たち。

吉田松陰の盟友・肥後の宮部鼎蔵など豪傑もいました。

さて大階段盛りを注文してみました。

軍鶏肉、馬刺し、鰹のタタキなどなど。美味なり。

沖田総司は池田屋の激闘の中で、喀血したと言われます。そのためか、新選組の戦力は一時は近藤、永倉の2名だけになります。

そこに土方たちが加勢に加わり、形勢逆転。新選組が優勢になりました。

今宵の虎徹は血に飢えている!!

相手を吹っ飛ばした!!

近藤勇というより車田正美の世界ですね。

この事件をきっかけに、新選組の名は天下に轟きました。激怒した長州は翌月、京に出兵。禁門の変が勃発します。
近江屋跡

河原町のかっぱ寿司前。ここは坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡地なのです。

大政奉還後の1867年のことでした。

下手人は諸説あり、当然に新選組も疑われました。現在は幕府の見廻組説が有力です。

ちなみに高知県立坂本龍馬記念館では、近江屋が復元されています。

龍馬は刀をとろうとしたところ、頭部を斬りつけられたんですね。脳をやられてしまった。

歴史ファンには新選組も龍馬も、両方ともヒーローです。

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