瀋陽(奉天)歴史巡り【清朝発祥の地】

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満洲を中心に歴史巡りをしていきたいと思います。遼寧省の瀋陽へと向かいます。

瀋陽は清朝のもともとの都で、初代皇帝ヌルハチ、2代目ホンタイジの時代までは政治の中心でした。(3代目以降は北京に中心が移る)

清朝初代皇帝ヌルハチ

20世紀に入り、清朝が滅亡すると、瀋陽は帝政ロシア、日本の勢力範囲に入り、名前も奉天と改称されました。日本人には奉天の方が馴染みがあるかも。日露戦争の陸戦の最終決戦となったのが奉天でした。

日露戦争の奉天会戦

奉天会戦に勝利した1905年3月10日は、戦前は陸軍記念日として祝日になっていました。アメリカ軍は陸軍記念日を狙って、東京空襲をしたんですね。

日露戦争の奉天会戦
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目次

瀋陽

昭陵(清朝皇帝の陵墓)

瀋陽の最初の目的地は世界遺産・昭陵です。別名北陵とも言われます。昭陵は清朝の2代皇帝ホンタイジの陵墓です。1651年につくられました。ここがエントランスです。

実は初代ヌルハチの時は、まだ清を名乗っておらず「後金」と称していたため、ホンタイジが清朝の実質的開祖という考えも出来ます。

あまりにも広いのでカートを使って陵墓に近づいていきます。数百メートルは乗るかな?

カートを降りて、ここからは歩いていきます。大きな池と橋があった。「神橋」というみたい。

真ん中の道は、皇帝しか通れない道みたいです。伊勢神宮みたいなもんか。

石牌坊を越えていきます。

次に見えるのは正紅門

またまた皇帝の道が続きます。

両側には伝説の生き物の石像が並びます。

麒麟!首が長いやつじゃないのね。

白馬です。

駱駝です。

大象です。

この石碑は康熙帝の建立だそうです。

隆恩門です。

ここから石の階段を登っていきます。石の方城となっているみたい。

見晴らしいいっすね。

色合いが鮮やかで美しいです。

ここが方丈の中心の神殿です。

ここが清朝太宗ホンタイジと皇后が眠る陵墓「宝城」だそうです。中央には楡の木が植えられています。

方城の後方に降りていきます。

なんとコスプレ美女が!なんか気さくな人でしたよ。

この石壁に囲まれたあたりを月牙城と言うそうですね。

衣類など出店もありました。

昭陵、さすが納得の世界遺産でした。素晴らしかった。

瀋陽ではチャイナ美女イラスト集なども売ってましたよ。

世界遺産・昭陵を見学してバスで市街地に移動していきます。ちなみにこの辺は柳条湖ですね。このあたりの線路を1931年9月18日に関東軍が爆破し、満洲事変が始まったのです。

奉天のちょい北あたりを爆破して、爆破そのものは大した規模じゃなかったんですけどね。(直後に列車が通過できたぐらい)ただこれを口実に、関東軍はシナ軍閥との戦闘状態に入り、わずか5ヶ月で広い満洲を制圧します。

瀋陽故宮博物院

清朝初期の宮殿で、初代皇帝ヌルハチと2代目ホンタイジの2代までここに住んだそうです。

これは2代目ホンタイジの政務に使用された崇政殿です。

遠くに見えるのは大政殿です。この辺の建築物は初代ヌルハチの時代に建てられたそうですね。

大政殿の東西左右対称に、十軒もの十王亭が並び立ちます。ここで貴族や大臣たちが政務を行いました。

このような建物配置は、清朝の軍事・行政・社会システムの八旗制度を反映させたものでした。十王亭では八旗それぞれの武具や衣服などが展示されています。左が初代太祖ヌルハチ、右が2代太宗ホンタイジです。

ヌルハチの時代は皇帝の黄色い服など着てるはずがなく、この絵は後世の創作らしいですね。

これが八旗ですか。

満洲民族はこれを見たら狩猟民族だよね。

乾隆帝だな。清朝には名君が多い。シナ大陸は漢人以外が統治していた時代も長いけど(隋、唐、元、清など)漢人以外の方が善政をしたりするから不思議だ。

このエリアはホンタイジの妻たちの屋敷です。ホンタイジは(政略結婚の意味があったんでしょうが)モンゴル民族から妻をめとりました。

中でもホンタイジの側室の、しかも5号妻だった荘妃の永福宮に注目したいですね。

荘妃もモンゴル出身で、清朝3代め順治帝の母となり、4代め康熙帝の祖母となった重要人物なのです。

清朝末期の「女帝」西太后にも比肩しうる人物として、小説やドラマにも取り上げられることが多いみたいですね。

鳳凰楼です。当時、瀋陽で一番高い建築物だったらしいですね。

自動販売機がありましたが、なんと完全電子マネー対応になってました。

コインが入れられないよう、ふさいであるよw

トイレすらまともに作れないかと思えば、意外にハイテクだったり本当に不思議な国だよw

中山広場

故宮博物院を出て、瀋陽の中山広場へと向かいます。

チャイナにはどの都市にも「中山広場」という名の広場がありますが、これは辛亥革命を起こした孫文の名前・孫中山から来ています。孫文は中共でも台湾でも英雄視されてる珍しい人。でもネームバリューほどの実力はなく、中華民国の実権を袁世凱にすぐ奪われてしまいました。そして中山広場なのに、なぜか毛沢東の像が立ってますw

孫文。中華民国をおこした人物。

旧奉天ヤマトホテル

瀋陽の中山広場は、ヨーロッパ風に放射線状に道が広がっています。そして満洲国時代の日本遺構も充実しています。その中でも一番有名なのが旧奉天ヤマトホテルです。

ヤマトホテルとは、かつて満鉄が満鉄沿線に展開していた高級ホテルブランドです。奉天以外には大連、旅順、長春などにもありました。奉天ヤマトホテルの現在の建物は1929年につくられ、レストランやエントランスなどは当時のままで利用されています。

ちょっと入ってみましょう。

現在は遼寧賓館として使われています。

戦後も毛沢東や周恩来などのVIPに利用されました。

2階も覗いてみましょう。

結婚式用かな?金のレリーフ、かっこいいね。

大したもんですね。さすがの高級感です。

さて、晩ご飯は餃子を食べました。

ここが瀋陽のホテル。ヤマトホテルに泊まりたかったw

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