沖縄巡り【首里城、石畳、玉陵】

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沖縄旅行記です。羽田から朝一の便で那覇へと向かいます。

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目次

那覇空港

あっさり到着しました。南国の雰囲気があります。

最初の目的地は首里城公園です。まずゆいレールを使って首里駅まで行きます。

那覇空港駅からゆいレールに乗車して、首里駅にて下車します。 

ゆいレールは2003年に開業しました。戦後の沖縄は車社会(自家用車・バス・タクシー)となっていましたが、本島中南部地域では産業の発達とともに人口が集中し、特に那覇都市圏の渋滞は大きな社会問題になっていました。

待望の戦後初の鉄道・ゆいレールの開業により、通勤・通学・観光もきわめて便利になったそうです。

首里城まで歩きますが、交番も首里城っぽい。いいね。

コンビニまでも!

龍潭(りゅうたん)という池の向こうに、お城が見えてきます。

首里城

守礼門

まず最初に有名な守礼門が見えて来ました。守礼門は16世紀の尚清王時代に創建されました。

門扉の上には「守禮之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。守礼とは礼節を重んじるという意味ですね。1945年の沖縄戦で焼失しましたが、1958年に復元され現在に至ります。二千円札紙幣の絵柄にもなりました。

守礼門のわきに園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がありました。全然読み方わからんかったわ!

国王が首里城から出かける時は、ここ園比屋武御嶽石門で道中の安全を祈願していました。この門の向こうに広大な森林の神域があったらしいです。

守礼門を過ぎると、歓会門(かんかいもん)が見えてきました。

琉球王国の時代に、首里城には中国皇帝の使い「冊封使(さっぽうし)」が招かれました。この門は、冊封使一行を歓迎するという意味を込めて名付けられました。

 上に見えるのは瑞泉門だと思います。

漏刻門です。漏刻とは中国語で「水時計」という意味で、まさしくこの門の上の櫓の中に水時計が設置されていたそうです。

首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられています。

こういった特徴を持つ沖縄特有の城郭を、「グスク」と言います。

 廣福門です。

奉神門です。

首里城公園には、無料区域と有料区域があります。廣福門、奉神門を越えて、これから有料区域に入っていき、正殿などを見学して行きます。

首里城正殿

塗り替え修築中でした。沖縄の強い日差しや風雨にさらされるため、メンテが必要なんですね。

首里城は、琉球王国の中心地でした。中国と日本の築城文化を融合した建築様式や石組み技術には、高い文化的・歴史的な価値があると言われています。1945年の沖縄戦で焼失しましたが、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して復元されました。2000年には世界文化遺産として登録されました。

正殿の模型です。

正殿の前は「御庭(うなー)」と呼ばれる中庭広場の空間が広がっています。年間を通じて様々な儀式が行われました。

これは冊封の風景かな。冊封使は琉球王国が代わるたび、中華皇帝からおくられて来る使節で、500年もの間継続して続けられた儀式です。

御書院です。沖縄の城内にも和風の部屋があるんですね。

ここでは国王が執務を行ったり、時には薩摩役人や冊封使を迎えたりしたそうです。

正殿の2階です。格式の高い儀式に使用されたそうです。

扁額は、中華皇帝から贈られたものだそうな。

正殿2階は1階よりも天井も高く、装飾も豪華です。

清の皇帝から贈られた王印の複製です。

正殿1階に降りていきます。1階は国王が自ら執務や儀式を執り行ったところです。

床が一段高くなっているところは、国王の玉座である御差床(うさすか)です。

地下にある首里城正殿の遺構が覗けます。首里城は火災などにより、四回ほど焼失と再建を繰り返しているそうですね。

ぶらぶら周辺を散策します。ガマ遺構です。ガマとは人工の洞窟のことです。

首里城公園では、様々なイベントが行われています。琉球舞踊も見ることができました。1日3回ほど無料の演舞があるみたいです。

なかなか艶やか!

2019年の火災で正殿含めて被災してしまいましたが、復興に向けて努力が続けられています。

玉陵(たまうどぅん)

世界遺産玉陵(たまうどぅん)を見学します。アクセスは首里城守礼門から徒歩5分くらい。首里高校そばにあります。

まずは管理事務所内の展示を見学します。

この建物には玉陵に関する昔の写真など多くのものが展示されています。

琉球の焼き物も展示されていました。

 さあ、いよいよ実物を見に行きます。

玉陵は第二尚氏(琉球では王朝交代があった)王朝の大型の墓地で、16世紀初めに尚真王が父の尚円王を祀るために造らせました。 

当時の宮殿の形を模して作られた石造りで、沖縄県でも最大の破風墓です。

 沖縄戦により大きな被害をうけましたが、1974年から修復がなされ、現在はほぼ往時の姿を見ることができます。

金城町石畳道

さらに金城町(きんじょうちょう)石畳道に徒歩で向かいます。

長さ300mあり、琉球石灰岩が敷かれた石畳道で首里城から続いています。15世紀から16世紀の尚真王の時代に、首里城から南部へ行く道として造られたそうです。

戦争で一部なくなり300mしか残っていませんが、両脇に沖縄の古民家があり、風情あふれる場所です。

首里駅付近の蕎麦屋さんで、沖縄名物ソーキそばをいただきました。ソーキって豚のあばら骨の部分なんですね。

お店にあった沖縄の新聞「琉球新報」と「沖縄タイムス」を見ました。

沖縄の新聞は主要二紙の論調が似過ぎていて、多様性に欠けている感じがしました。

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