【富士には月見草が】御坂峠・太宰治巡り【よく似合ふ】

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太宰治の中期の名作「富嶽百景」の舞台となった御坂峠(みさかとうげ)の天下茶屋を巡礼しました。特急で快適に移動。

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目次

富士急河口湖駅

河口湖駅に到着。

河口湖駅前に古い電車発見です。

富士山麓電気鉄道(現富士急行)が1929年に走らせたモ1号の復元らしい。

河口湖駅からバスが出ているはずだったんですが、なんと運休中でした。やむなくタクシーで御坂峠に上がってきました。

富士山はバッチリ雲がかかっています。

御坂峠 天下茶屋本店

 ここが太宰治の「富嶽百景」の舞台・天下茶屋です。

御坂峠、海抜千三百米メエトル。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。

1938年9月13日のことでした。

いい雰囲気です。まずは腹ごしらえ。

天下茶屋名物ほうとう鍋、美味かった!

太宰グッズいっぱいありました。

太宰治記念館

天下茶屋の2階が「太宰治記念館」になっており、無料で見学できます。

さあ上がってみましょう。小説中でも、天下茶屋の二階で太宰は寝起きしていました。

太宰と石原美知子さんの結婚式。

甲府で私は、或る娘さんと見合ひすることになつてゐた。井伏氏に連れられて甲府のまちはづれの、その娘さんのお家へお伺ひした。井伏氏は、無雑作な登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着てゐた。娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植ゑられてゐた。母堂に迎へられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかつた。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、
「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押を見あげた。私も、からだを捻ぢ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた。まつしろい睡蓮の花に似てゐた。私は、それを見とどけ、また、ゆつくりからだを捻ぢ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。

これが1938年9月18日のことです。

下の写真は太宰の死後、茶店のそばに建てられた文学碑の除幕式の様子です。妻子が参加。

井伏鱒二も参加してたんですね。1953年10月のことでした。

これが富嶽百景の娘さんか〜!

「お客さん。甲府へ行つたら、わるくなつたわね。」
 朝、私が机に頬杖つき、目をつぶつて、さまざまのことを考へてゐたら、私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましさうに、多少、とげとげしい口調で、さう言つた。私は、振りむきもせず、
「さうかね。わるくなつたかね。」
 娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなつた。この二、三日、ちつとも勉強すすまないぢやないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろへるのが、とつても、たのしい。たくさんお書きになつて居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」
 私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。

太宰の頃の天下茶屋の人々。小説中ではおかみさんと娘さんしか目立ってないが、沢山いたんだ。

太宰と言えばタバコか。桜桃忌などで墓前には必ずタバコのお供えがあります。

太宰の使った部屋が復元されています。

太宰の初版本です。

2階から見る風景です。太宰も見た景色か。

十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五台に分乗してやつて来た。私は二階から、その様を見てゐた。自動車からおろされて、色さまざまの遊女たちは、バスケットからぶちまけられた一群の伝書鳩のやうに、はじめは歩く方向を知らず、ただかたまつてうろうろして、沈黙のまま押し合ひ、へし合ひしてゐたが、やがてそろそろ、その異様の緊張がほどけて、てんでにぶらぶら歩きはじめた。茶店の店頭に並べられて在る絵葉書を、おとなしく選んでゐるもの、佇んで富士を眺めてゐるもの、暗く、わびしく、見ちや居れない風景であつた。二階のひとりの男の、いのち惜しまぬ共感も、これら遊女の幸福に関しては、なんの加へるところがない。私は、ただ、見てゐなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。さう無理につめたく装ひ、かれらを見下ろしてゐるのだが、私は、かなり苦しかつた。
 富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。

この場面が作中で一番好きな場面です。

天下茶屋のワンコ・小梅氏w

かわいい。でも吠える時は猛然と吠える子のようです。

太宰治文学碑

階段の上にあるみたいです。

さっき除幕式の写真で見た碑ですね。

「富士には月見草がよく似合ふ」草稿からとられた太宰直筆の文字です。

老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。

銭湯のペンキ絵のような富士が見れなくて残念ですが。

三つ峠入口まで降りてきました。

作中で井伏鱒二と三つ峠を登山する場面がありましたね。

三つ峠から甲府駅行きのバスに乗ります。

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