松江を立ち、米子駅へと向かいます。
コナンの作者って鳥取なんですね。
悪いが「未来少年コナン」以外のコナンは認めねえよ笑
JR米子駅
米子駅は改修中なんですね。
今はこんな感じです。
謎の駅前オブジェを鑑賞。
なぜか鉄道?米子は山陰鉄道発祥の地であるとか。
米子に寄った目的は伯耆富士こと大山に行ってみたかったことです。もちろん登る体力は無いので、見るだけ。
観光案内所で相談したところ、バスで大山寺まで行くのがいいだろうとのことでした。片道730円、現地での停車は20分ちょいですが、どうせ写真を撮るだけ。むしろ都合いい。
約1時間かかります。
大山寺
さあ大山寺バス停到着しました。
参道を上ると撮影スポットらしい。テクテク行きます。
大山寺橋からパチリ。
うむ、ここから大山北壁がバッチリ望めるはずですが、雲がかかってよく見えない。
反対側から日本海のようです。
帰りのバスから意地で撮影。自然相手はやはり人間の都合通りいきませんね。
米子駅から特急で県都鳥取市へと向かいます。同じ県でも100キロ程離れています。
JR鳥取駅
さあ鳥取市に到着しました。駅前を散策します。
なんと駅前に二十世紀梨の畑があるんですね!
この梨は千葉県松戸原産ですが、鳥取梨の代名詞となっています。
謎のオブジェが多い駅前。実はこういうものの探索は好きです。
麒麟獅子は鳥取地方の獅子舞です。
若者の憩いの場っぽい。
駅の反対口には因幡の白兎の像がありました。よく見つけられた。
さあまずは何はともあれ砂丘です。路線バス砂丘線で380円。
砂の美術館
まずは砂の美術館にやってきました。砂で糊なしで固めた彫像を楽しめます。
今はチェコをテーマにした彫像が見られるみたいです。この写真の外国人アーティストが作ったのか。
2Fが展示スペース。
ドラゴン伝説
チェスキー・クルムロフ
世界遺産の古都らしい。
天文時計とセドレツ納骨堂
プラハ旧市街にある時計塔。
チェコには人骨を装飾とした教会があるらしいんですが、それを壁面装飾に使っているようです。
ボヘミアン・パラダイス
中世のスラブの女性たち。
奇岩の景勝地・ボヘミアン・パラダイスが背景です。
スピシュ城とモンゴルの襲来
モンゴルの西方遠征はヨーロッパ中を恐怖に陥れました。後方のスピシュ城はそれへの備えとして、スロバキア東部に造られました。
幸いモンゴルの襲来はありませんでしたが、スピシュ城はその後も欧州最大の城として残り、18世期には荒廃しました。
ヤーノシークの伝説
スロバキアの義賊・ヤーノシーク。スロバキア版の鼠小僧次郎吉です。
ヤン・フスと火刑
チェコの宗教改革者ヤン・フスは民衆にも分かりやすくチェコ語で説教を行いました。教会と対立しても信念を曲げず、最後は火刑に処されています。
リブシェの予言
チェコの神話の予言者リブシェは、プラハ誕生を予言しました。
作品はチェコ出身の画家ミュシャの作風を踏襲しています。
ルドルフ2世とルネサンスの影響
変人とされる神聖ローマ皇帝ルドルフ2世は、政治に興味を示さずプラハに遷都し、ルネサンス芸術のパトロンとなりました。
皇帝が保護したアルチンボルドの作品。
プラハ城、カレル橋とヴルタヴァ川の風景
プラハの錬金術
皇帝ルドルフ2世は錬金術に傾倒し、錬金術師たちを集めて研究を行わせました。
ゴーレム伝説
ユダヤ教の伝承に登場する、土人形ゴーレム。
中欧の野生動物
プラハ窓外投擲事件
カトリックによる弾圧に対して、プロテスタントの抗議運動として窓外投擲事件は度々起きたと言います。1618年の事件は、あの凄惨な30年戦争のきっかけになったと言います。
文学「フランツ・カフカ」
カフカはチェコ人だったんですね。生前は無名で、死後再評価を受けました。
朝起きたら虫になっていた「変身」から。
民族復興運動の音楽家たち
18世紀後半から始まったチェコ民族運動の高まりには、スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクらの優れた楽曲の発表が影響を与ました。
アントニン・ドヴォルザーク
ベドルジハ・スメタナ
ビロード革命と現代化
冷戦の終了とともに、チェコの社会主義の時代が終わります。ハヴェル大統領を指導者とする民主国家に生まれ変わりました。
これは無血の名誉革命であったことからビロード革命と呼ばれています。
3Fは全体を見下ろすことが出来ます。
ショップではチェコ関連のものが購入できます。ミュシャグッズもいっぱい。
さらに上には砂丘の展望台もあるようです。
見えました。馬の背です。
鳥取砂丘
さあ二十世紀梨ゼリーを購入して、いよいよ砂丘へと。
この垣は何でしょうか?防砂林の植林かな。
さあ見えてきました。馬の背。
オアシスも見えますね。
人がアリのようだ。
けっこうしんどい。実は数年前にも来てるのですが、その時よりキツく感じる。体力の衰えを感じます。
ようやく登頂!
日本海が見えます。砂の断崖は高所恐怖症には怖い。
名物ラクダです。乗らなくても記念撮影だけなら100円でしてもらえます。
展望台へのリフトもあるんだ。
土産物屋さんでバスの時間を待ちます。
お土産さんで砂入りボールペン購入しました。
梨ソフトを味わいつつ、バスを待ちます。
次の目的地は鳥取城跡です。西町バス停で下車してすぐです。久松山が見えます。
鳥取城跡
なかなかいい感じですね。
なんとこちらの門は閉鎖されてるみたいですね。左側から回りこんで行くしかないようです。
「ふるさと」の作曲者は鳥取人だったようですね。
関係ないけど、子供の頃「ウサギ美味しい」と歌詞を勘違いして、ウサギなんて食わねえよとか思ってました。
ここが仁風閣。旧鳥取藩主池田家がつくった洋館らしいですね。
旧鳥取藩主・池田家は現在の16代当主・池田百合子さんを最後に絶家を決めたそうです。
仁風閣の裏手には宝隆院という庭園があります。
もともと鳥取藩主の未亡人を慰めるためにつくられたものだとか。
ここから城跡へ上って行きます。
クマ、イノシシなど野生動物出現もあるそうでビビる。
この辺りが二の丸跡です。
二の丸三階櫓跡です。
仁風閣が見下ろせる。
学校のグラウンドか?鳥取西高のようです。
表御門跡です。
ここが天球丸だそうです。なんだ?この丸い石垣?
亀の甲羅のような形状に積み上げられ、他では見られない珍しい形の石垣だそうです。
文化4年(1807)頃の復旧時に造られたそうです。
何のためにこんな形にしたのでしょうね?
最後にこれが吉川経家公の像です。
1581年の羽柴秀吉の中国攻めの時でした。秀吉は鳥取城を落とすのに補給路を遮断。兵糧攻めで、自軍の兵力を損なうことなく敵軍を降参させようとしました。いわゆる鳥取の飢え殺しです。
数ヶ月耐えた吉川軍も最後は地獄の惨状となり、人肉を喰らう有様に。経家は羽柴軍への降伏を決めます。秀吉は経家を助命するつもりでしたが、経家はそれを拒絶。見事に腹かっ切って、武将の本懐を果たしました。
とりあえず駅前に戻ってきました。変な銅像を発見。鳥取県知事・石破二朗さんのリンカーンのような像です。
これは現衆議院議員の石破茂さんの親父さんですね。田中の角さんの盟友で、最後は参議院議員にもなってますね。
駅前で砂丘そばとカツ丼セット食べました。鳥取和牛にも心惹かれましたが、適当な店が見つからなかったので。
ここはスターバックス鳥取1号店です!47都道府県で唯一スタバが無いのが鳥取でした。
5年くらい前に、鳥取駅裏にこのお店が出来て、今は4つくらい出店しているみたいです。
さあ宿に行きたいと思います。安さだけで選んだビジホですが、実はとんでもないホテルだった。
チェックインして、ふとパネルを見ると?!岩瀬選手?中日の?
山井は日本シリーズで完全試合やりそうになったアイツか?
山本昌!これはいったい?
このホテルの隣にワールドウィングというプロアスリートも使う施設があって、毎年山本昌や岩瀬は自主トレに来ていたようなのです。そして隣接するこのホテルに毎年宿泊していたのだとか!山本昌のYouTubeチャンネルで彼らが鳥取でトレーニングしていたことは知ってたのですが、まさかこのホテルに泊まってたとは?偶然とは言えすごい!
この部屋と同じタイプの部屋に、昌さんや岩瀬さんが泊まったのか!
ジャグジー風呂、さすが!名球会気分を堪能しました。
翌朝、隣接するワールドウィングをのぞいてみました。もちろんまだ開いてなかったけど。
これはブルペン?投球練習場?本格的だ。
ここが有名な場所。岩瀬のセレモニーをここでやった時に、イチローがプレゼントを渡しにサプライズ登場して、ニュースになったところ!
さて朝食は「すなば珈琲」を見つけて入ってみました。
これは鳥取にスタバが出店してなかった頃、「スタバは無くても砂場はある!」との、自虐的反論がなされ、本当にこういうチェーンができたということ。
とりあえずモーニングトースト頼みましたが、20分かかった。
でも美味しかった。
短い滞在でしたが、サプライズもあり、充実した鳥取の旅でした。
この後は特急スーパーはくとで山陽へ。姫路へと向かいます。この地が旅の最終目的地となります。
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