越後雪巡り【山本五十六、雪国】

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上越新幹線で移動中。なんと2月なのに雪の新潟に突撃します。

国境の長いトンネルを越えると、そこは雪国であった。

長年、社会科講師をしながらも、関東人のわたしは実際の雪国を経験したことが無かった。お勉強のつもりで越後山脈を越えていきました。

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目次

JR長岡駅

さすがの豪雪。花火の筒かな。長岡は夏の花火でも有名です。

地下水を利用した消雪パイプの発祥の地は長岡らしい。

さすが田中角栄を輩出した旧新潟3区。インフラ整備はばっちりのようです。

雪の厚みが違いますね。

河井継之助記念館

幕末の志士・河井継之助は長岡藩出身です。記念館は継之助の邸宅跡のようですね。

いきなり出た!継之助の代名詞・ガトリング砲です。南北戦争初期にアメリカで開発された、最初の機関銃で、1分間に200発の銃弾を発射できます。

南北戦争終結後、日本にも三門輸入されましたが、そのうち二門を長岡藩が入手しました。

この庭は河井継之助のゆかりの庭だそうです。

河井継之助は1827年、長岡藩士の子として生まれます。幼い頃から負けず嫌いでした。

江戸で佐久間象山、備中松山で山田方谷に学んだ継之助はやがて頭角をあらわします。

やがて戊辰戦争が勃発。中小藩の長岡藩が官軍につくか、旧幕府軍につくか難しい判断を迫られることになります。

押し寄せる官軍と継之助は「小千谷談判」を行い、無益な戦いを避けようとしました。

↓小千谷の慈眼寺で談判は行われましたが、継之助の正論に官軍は反論できず、交渉は決裂。

ついに北越戦争が始まります。

継之助自らガトリング砲で攻撃し、一度奪われた長岡城を奪還するなど奮戦します。

しかし大軍には勝てず。継之助も左膝を撃ち抜かれ、会津へと落ち延びようとします。

会津只見に向かう八十里峠を越える際、もはや歩くこともできなくなった継之助は自嘲の句を詠みます

八十里 腰抜け武士の 越す峠

継之助はもはや自分の命が長くないことを知っていたのです。

明治以後は忘れ去られた継之助を「発掘」したのは、司馬遼太郎の小説「峠」でした。

山本五十六記念館

長岡のもう一人の英雄が、山本五十六連合艦隊司令長官です。

ちょうど山本五十六の映画がヒットしていた頃でした。

「誰よりも、開戦に反対した男がいた」だって。現代の「平和主義」の価値観でもって、先人たちを評価するのはどうかな。

山本五十六記念公園

山本長官の最大の功績は、航空兵力時代の到来をいち早く予見し、世界初の空母機動部隊(第一航空艦隊)を組織したこと。

そして日本海海戦と並ぶ帝国海軍の偉業・ハワイ作戦を立案、実行し、成功させてしまったことです。

戦争自体負けてしまったので、批判する奴は多いですけどね。

これが山本五十六の生家(復元)です。

山本五十六の胸像です。

しかしすごい雪だ。

雪国では信号を縦にします。雪で信号が隠れないためとか。

とんがり屋根は雪の重み対策かな。

長岡戦災資料館

長岡市は1945年8月、新潟県内で唯一アメリカ軍による大規模空襲を受け、1400名以上の被害者を出しました。

なぜ長岡が?という疑問は当時からありました。長岡が山本五十六の出身地であることから、真珠湾の報復か?という説もあります。

またアメリカ軍の空襲候補地の選択は、「人口密集地」を狙うというものでした。県内最大の新潟市は原爆投下候補地だったため手つかずにしておく必要があり、必然的に県内2位の長岡市が狙われたのだ、という説もあります。

「原爆投下候補地の温存」のため、地域第二都市が先に空襲された例は岡山市といっしょですね。

明かりが漏れないよう、覆いをかけます。

防空頭巾によって、焼夷弾の火災から頭部を保護します。

良寛和尚は長岡の人だったのか。

JR越後湯沢駅

越後湯沢にやってきました。さすがの豪雪。

歴史民俗資料館「雪国館」

ここでは雪国の伝統的な暮らしを学ぶことができます。

囲炉裏。鉄瓶。まず思い浮かぶ雪国の暮らしですね。

冬に備え、柴木を刈っておきます。貴重な燃料になります。

↓左から猫用すみか。飯びつ用保温器。赤ちゃん用カゴ。

湯たんぽ。寝具。

みの。

履き物。

農具か。

雪国の生き物たち。ツキノワグマやカモシカです。

猟銃です。

この辺も農具です。千石どおしの一種で「まんごく」です。後ろに唐みも見える。

千歯こき。脱穀に使いました。

雪国では機織りがさかんです。

客ぞり。温泉客などの送迎に使われました。人力のそりです。

越後湯沢は川端康成の小説「雪国」の舞台として知られます。

駒子の部屋です。駒子とは「雪国」のヒロインのこと。駒子のモデルになった芸者・松栄さんの部屋を移築・復元したものだそうです。

「雪国」は「伊豆の踊子」とならぶ川端康成の代表作。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の書き出しはあまりにも有名です。この「国境」は上越(群馬と新潟)の国境であり、「トンネル」とは上越線の清水トンネルのことです。

高半ホテル

ここは川端康成が「雪国」を執筆した宿です。

川端が泊まった「かすみの間」が見学できます。

↓駒子のモデル松栄さん寄贈らしい。

ここで「雪国」が書かれたのか。

この人が駒子のモデルの松栄さん。

高半で温泉にもつからせていただいてあったまりました。

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