★さらに覚えやすい!暗記カード★
暗記カードは「note」から有料ダウンロードできます。
経済の成長
高度経済成長
1955年から1973年まで、日本は高度経済成長とよばれるめざましい経済発展を成しとげました。
1960年には池田勇人内閣が「10年間で国民の所得を2倍にする」という所得倍増計画を打ち出しました。
国民の収入を倍にする、という計画だった。
そんなの出来っこないす!
ところがわずか四年ちょっとで実現してしまったんだ。
ウソ!すごい!
1964年にはアジアで初となる東京オリンピックと東京パラリンピックが開催されました。
でも池田勇人は病気のため、東京オリンピックを最後に退陣したんだ。
そうだったの。せっかく経済も成長して、これからだったのにね。
すでに病魔に蝕まれていた池田は、オリンピックの翌年亡くなってしまう。本当に惜しいことだった。池田があと5年総理をやれたら、憲法改正も可能だったろうし。
本当は1940年に東京オリンピックは開催されるはずだったんだよ。
えっ!そんな以前に?
でも日中戦争(シナ事変)が激しくなったために中止されたんだ。
東京オリンピックにあわせて、名神高速道路や東海道新幹線などが整備されました。
1970年には大阪で万国博覧会が開催されました。
国民の生活も次第に向上しました。1960年代に普及した電化製品は「三種の神器」とよばれました。
白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機のことね。
1970年代ごろから「3C」がもてはやされました。
経済発展にともなって、エネルギー消費も増え続けました。1960年代からは石炭を上回って、石油を使用する割合が増えました。このことをエネルギー革命といいます。
人口の移動と公害対策
経済発展にともなう人口移動のために、大都市は過密となり、都市問題が発生しました。
都市問題ってどんなものがあると思う?
人がいっぱいいたら・・交通渋滞は起きるでしょうね。
正解。あとは公害などの環境問題は起きるよね。
人口集中を緩和するために、都市の近郊に大規模な団地(ニュータウン)がつくられた。しかしこれら郊外のニュータウンでも、現在では高齢化や建物の老朽化が進んでいます。
一方で地方では人口流出による過疎化が進行しました。特に山陰や四国地方では人口が大変少なくなっています。
過疎によって起こる問題ってどんなものがあると思う?
逆に人がいないってことだから・・。とりあえずお店に客がこなさそうね。
そうだね。商店やスーパーなどが利益が出なくて閉店になったりする。あとは何か思いつく?
田舎のばあちゃんのところに行った時、なかなかバスが来なくて、すっごい待たされた。あれはあり得なかったわ。
そうだね。路線バスが廃止されるなど、公共交通機関が無くなっていく、という問題もあるね。
経済成長の一方で、深刻な公害問題が発生しました。国は1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁という役所を設置しました。
今は環境基本法、環境省という新しい体制にリニューアルされているよ。
変動相場制へ
円とドルの交換比率は、戦後はずっと固定相場制で、1ドル=360円に固定されていました。
今は1ドル=100円台だから、スーパー円安だったんだね。
円安だと輸出が有利なんだよね、確か。
日本の高度経済成長の原因として、固定相場制だったこともあげられます。日本製品は輸出を拡大して成長していきました。
しかしアメリカ経済の弱体化によって、米ドルの力はおとろえていきます。1970年代前半からは、取引の状況によって円とドルの交換比率が日々変わる変動相場制がとられるようになりました。
ニュースを見てると、毎日「今日は1ドル=100何円・・」とかやってるよね。
聞いたことあるわ。毎日変わるんだね。
石油危機と経済成長の終わり
第四次中東戦争をきっかけに、中東の産油国は石油の輸出を制限しました。その結果、石油価格が上がり、世界的に経済が落ち込む第一次石油危機が起きました。これによって日本の高度経済成長は終わりを告げました。
石油危機とトイレットペーパーってどう関係あるの?
さあ?大阪発の噂が、全国的な騒動に発展したらしいけど。
そういえば最近コロナが流行った時も、トイレットペーパーが無くなるって騒いでたよね?
パニック時期の定番のネタなのかもね。
石油危機後の日本経済
産業構造の変化と貿易摩擦
1970年代以降の日本では、鉄鋼・造船・石油化学などの素材型産業から、自動車・精密機械などの組立型産業へと変化していきました。
なんでだろう?
考えてごらん?石油化学工業には何が必要だい?
石油でしょ。
石油は外国から輸入しないといけないよね?石油危機以降、日本では省エネルギーが進められて、石油に依存する産業は徐々に割合が低下していったんだ。
一方、石油危機によって日本の自動車産業の人気は高まりました。
なぜ?
日本車は燃費がよく、故障も少ない。石油価格が上がったために、逆に人気が高まったんだ。
アメリカへの輸出が大幅増加したことによって、日米の間で貿易摩擦という対立が発生しました。そんなこともあって、日本の自動車会社は現地生産を行うようになりました。
急激な円高と不景気
アメリカの貿易赤字を減らすため、1985年、先進国の間で円高・ドル安にすることが決まりました。ニューヨークのプラザホテルの会議で決められたため、プラザ合意とよばれます。
日本はだいぶアメリカから儲けてたからね。貿易摩擦で炎上してたし、受け入れざるを得なかった。
しかもまだ冷戦の時代。軍事面でアメリカに依存していた日本は、アメリカへの負い目があった。従わざるを得なかった。
大蔵大臣(今の財務大臣)竹下登は「1ドル=200円」ほどの円高受け入れを明言します。
プラザ合意によって、合意前は1ドル=240円台だったのに対し、年末には1ドル=200円台となります。日本政府の予想を超えて円高は進行し、止まらなくなります。さらに1987年末には1ドル=120円台となり、日本経済は一時的に円高不況に陥りました。日本の輸出企業は大打撃を受けました。
バブル経済とその崩壊
不況を克服するため、1980年代後半から日本銀行は金利を引き下げて、世の中に出回るお金を増やしました。
その結果、世の中にお金があふれ、企業は土地や株式を競って買いました。地価や株価はみるみる上がり、バブル景気と呼ばれる好景気になりました。
でもこんな女性は実際には目撃したことは無かったよ。テレビではよく見たけど。
景気がよくなったら、また流行るかもね。
1990年代に入り、株価や地価が下がり、企業や銀行は大損を出してしまいました。バブルが弾けたのです。
昭和時代から平成時代へ
55年体制の崩壊と政権交代
1955年以降、与党である自由民主党と、最大の野党の社会党による55年体制という政治体制が長く続きました。
しかし1993年に細川護煕内閣(日本新党中心の8党連立)、2009年には鳩山由紀夫内閣(民主党)が成立し、自民党からの政権交代が一時的に実現しました。
民主党への政権交代の時の期待感はすごかったんだけどね。
でも全然ダメだったの?
まあね。約束したことは実行できないわ、逆にやらないと言ってた消費増税はやるわ、完全に国民の期待を裏切った。
地震国・日本が得た教訓
阪神・淡路大震災
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生し、6400人を超える人々が犠牲になりました。
この震災では、全国から集まったボランティアが被災者を支援しました。1月17日は「防災とボランティアの日」とされています。
東日本大震災
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、死者・行方不明者は約2万人にのぼりました。その多くは沿岸を襲った津波による被害でした。
また福島第一原子力発電所の被災は、世界中に大きな衝撃を与えました。この事故以降、日本では原子力発電の割合が激減し、代わって火力発電の割合が8割ほどに増えました。
平成時代から現在、そして未来へ
日本では長く、労働者を定年まで雇い続ける終身雇用制や、勤続年数に応じて賃金が上がる年功序列のしくみが用いられてきました。
しかしバブル崩壊後の厳しい経済状況の中で、従来の常識は崩壊しました。1990年代以降はパートタイマーやアルバイト、派遣労働者などの非正規雇用の割合が増えていきました。
また人や物、お金、情報などが国境を越えてやりとりされ、世界が一体化するグローバル化が進んでいます。
コメント