兵庫県の明石市にやってきました。
明石城
まずは明石城を目指します。駅からもお城が見えますね。
明石城は江戸時代初期に2代将軍秀忠の命によって、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が西国の備えとして築城しました。
小笠原氏は織田信長や徳川家康の血を受け継ぐ名家。
本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は珍しい三重櫓で、国の重要文化財に指定されています。
接近してみます。
お城からの眺めは「兵庫のビュースポット」らしいです。
この辺りが天守台と思います。明石城には天守閣は築かれることがありませんでした。
次は明石市立天文科学館を目指します。
JRの明石駅から山陽電鉄に乗り換えて、そこから一駅の人丸前駅に到着しました。
明石市といえば、東経135度、日本標準時子午線が通る街として有名ですね。この人丸前駅も、ホームに何と日本標準時子午線が通ってるんです。
お約束でまたいでみたよ。
明石市立天文科学館
さて人丸前駅から4分くらいで、明石市立天文科学館に到着しました。
何というグッドタイミング!正午、南中の時刻にちょうど到着!鐘が鳴ってましたよ。
この高塔は54メートルあります。JSTMとはJapan standard time meridian (日本標準時子午線)の略です。
1884年国際子午線会議が行われ、ロンドンのグリニッジ天文台を「本初子午線」としました。その2年後、「本初子午線」からちょうどプラス9時間の、東経135度を通る地点を「日本標準時子午線」とすることが決定しました。
昔から太陽が真南にある南中時刻が正午とされます。しかし例えば明石が正午の時に、東京は午前11時40分、長崎は12時20分と、ズレがでてしまいます。これを地方時といい、昔はそれでも良かったのですが、明治維新以降、鉄道などの交通機関の発達とともに、国内の時間を統一する必要がでてきました。そこで、共通の時刻を決める標準時子午線をつくることにしたのです。
ここにも当然ある日本標準時子午線。
当然またぐ。
日本標準時は1888年1月1日から採用されました。明石市立天文科学館は1962年に、東経135度の真上に建てられました。
13階と14階は展望フロアになってます。明石海峡大橋が一望できる!これは凄い。
ここにも標準時子午線あった。
人がいるので、またぎませんw
3階が展示フロアになっています。「子午線の町・明石の歴史」「時のギャラリー」「天文のギャラリー」など、さまざまです。子どもでも楽しめるように、展示にくふうがなされてましたね。天文が好きな子はたまらないと思います。
明石の町に、標準時子午線のピンクの光線が走ってますね。
下の観測機が「子午儀」で、経度や時刻を観測するために使われました。
明石天文台の親時計です。館内のすべての時間をこれで動かしています。
時計の歴史、いま昔。
現在では時刻は「原子時計」を使用して決めています。
天文コーナーも充実していました。
2階はプラネタリウムで、かなり評判いいらしいですね。見てみたかったけど、時間が無くてスルーしました。でも私はプラネタリウム見てると気持ち良くなって、寝落ちしちゃうんだよな。
もっとじっくりみたかった天文科学館でしたが、わずか1時間の滞在で離脱します。天文科学館の裏に、柿本神社(人丸神社)がありました。
万葉歌人の柿本人麻呂を祀る神社らしい。なるほど人麻呂がなまって人丸になったんだな。
街の至る所で、東経135度。
明石子午線郵便局
郵便局も子午線郵便局だって!
郵便局の中まで子午線が!
山陽電鉄を利用して、舞子公園駅に移動します。
明石海峡大橋
これから世界最大の吊り橋の「明石海峡大橋」を観光します。
舞子公園内を移動していきます。しかし巨大過ぎる橋です!
下から見上げると凄いわ!
孫文記念館
舞子公園内に「孫文記念館」がありました。明石海峡大橋の見学前に、ちらっと散策してみようと思います。
正式には「移情閣」というらしい。ちなみに孫文とは、中国の革命指導者で、辛亥革命を起こし、清朝打倒に尽力した人です。かなり世渡りの上手い人物という印象です。しかし軍事力に勝る袁世凱には勝てず、あっさり権力者の座を奪われてしまった。
この記念館もなかなか味のある洋館ですね。
でも別に孫文が住んでた建物というわけでもないようです。孫文が来日した時に、歓迎昼食会を開いた建物らしいですね。
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