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小5下巻17回「昭和時代(1)」

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f:id:mejirorock:20210313015824p:plain 小5下巻17回

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昭和戦前の回です。比較的新しい時代の学習に入ります。国際状況が複雑で、説明が難しい時代でもあります。予習シリーズでは一面的な歴史観で説明してますが、実際はそんな簡単なもんじゃないですから。ですから日中戦争について「日本は満洲だけでなく、中国全土を支配しようとしました」のようなデタラメな説明をしていることは本当に許せない。

 

世界恐慌と満州事変

こういう流れで軸を覚えておきましょう。

1919 ベルサイユ条約。以後、国際連盟を中心とする国際秩序・安定

↓(10年後)

1929 世界恐慌で全てが崩壊→各国生き残りをかけて混乱の時代へ。

↓(10年後)

1939 ドイツが東方ポーランドに侵攻、第二次大戦が始まる

 

世界恐慌の際、先進資本主義国がとった「ブロック経済」が大戦の遠因となりました。ブロック経済とは、本国と植民地を一つの固まり(ブロック)として、その中だけで自由貿易を行い、第三国の製品は関税などで排除するというもの。イギリス連邦の「スターリング・ポンド・ブロック」、フランスの「フラン・ブロック」、アメリカの「ドル・ブロック」などが形成されます。

そうすると、日本としては製品を輸出する先がなくなってしまいます。外貨を稼げなくなり、経済は破綻してしまいます。当時の主力輸出製品の生糸の輸出先(アメリカ)を失った打撃は、特に大きく響きました。

日本としては、生き残りをかけて「円ブロック」の形成のため、大陸に進出しようとする声が高まります。「満州(当時は満洲と表記)は日本の生命線である」というスローガンが叫ばれるようになりました。

また当時の中国大陸は統一政府のようなものは存在せず軍閥が割拠し、在満邦人の安全や経済活動の自由も脅かされる状況でした。

満州に「親日政権」を作り、治安を回復し、邦人を保護する。そして「日満経済ブロック」の経済圏を形成する。また満州を確保することにより、日本の最大の潜在敵国・ソ連共産主義の南下を防げる。ついでに国内で膨れ上がった人口の移出先を確保できる。(アメリカの排日移民法により、もはやアメリカに移民をおくることはできなくなっていた)

こういった目的で参謀・石原莞爾を中心とした「関東軍」が独断専行で動き、東京の政府はビビりながらも、それを追認。満州事変が始まります。1931年のことでした。(歴史年代暗記:いくさはじめの満州事変)

広い満州を、関東軍はわずか5ヶ月で占領。翌年には「満州国」を建国します。関東軍は「清朝の復興」を大義名分に、清朝のラストエンペラー溥儀(ふぎ)を担いで、親日政権「満州国」を建国したのです。

 

↓満州国の首都・新京(現在の長春)

満州国は、「満・漢・朝・蒙(モンゴル)・日」の多民族・移民国家の性格を備えていました。漢人たちも万里の長城を超えて、どんどん流入してきました。漢人軍閥の乱れた統治よりも、日本人の法治国家の方が安心して暮らせると判断したのでしょう。満州は以後10年で、1000万人以上の人口増加を果たします。(人口の95%が満人・漢人だった)

満州国では「アジア版アメリカ合衆国」を建国する意欲で、岸信介ら精鋭官僚が国づくりを行いました。都市部の治安や社会インフラは劇的に整備され、満州特急「あじあ号」やコンピューターによる管理システムなど、日本本国を上回る最新鋭のシステムが導入されていきます。

 

↓満州特急「あじあ号」大連とハルビンを結ぶ。当時の鉄道技術のすべてが投入された。

日本が敗戦後に、なぜ短期間で経済復興できたかというと、満州国建国の際の、近代国家づくりのノウハウがあったからなのです。